市場競争から見た知的所有権

第3章 歴史的価値観と基本的な法制


著者:富田 徹男


 発明に対して独占権を与えるとか、著作物に対して独占的な複製許諾権を認めるというような基本的なことは、このような制度を布いているところでは、ほとんど世界中同じである。しかし各国で何が善で何が悪かといった価値観が違ったり、基本的な法制度である民法が違ったり、裁判制度が違ったりするので、法律自体も、法律をどのように運用するかも非常に異なっている。
 たとえば巨大な独占権は悪であるとしても、個人の独占権は排他権と呼び変えて、それ自体は認めるのか。それとも個人の独占でも場合によっては悪とするのか。このような問題は法律の定義の問題ではなく、文化的な価値観の問題である。
 また比較法学の分野では、特許期間の年数とか、細かな定義の仕方で、この国の法制はどこの法制の継受であるなどとよくいわれるが、このような特徴も具体的な問題としては大きいのである。しかしあまり細かい違いを論ずるのは本書の目的ではないので、極めて重要な点だけをいくつか述べることにする。

平等に対する考え方の違い
 日本国憲法の中には平等について二つの異なる価値基準が示されている。一四条は法の下の平等を、二四条は男女平等を規定している。しかし二六条の教育を受ける権利については、「その能力に応じてひとしく教育を受ける権利を享有する」と規定している。つまり門戸は平等に開かれているが、能力がなければ教育を受けられない。簡単な例が大学の入試である。一定のレベルの能力が有れば大学に入学できる。能力がないと、試験は受けられるが入学できない。さらに経済的理由(経済的な能力)で進学できない生徒もいて、差別される。つまり機会均等であって、いわゆる平等ではない。
 近代資本主義の発展の中で重視された平等という価値観には国によって相違がある。
 資本主義社会は封建制度が崩れてから発生したものである。しかし私たちが古事記を読み、万葉集や古今和歌集の歌を百人一首で取り、また謡を習い、それが日本の文化であるというように、経済や政治もこれら中世以前の影響を残している。最近社会主義経済が崩壊したので、資本主義と社会主義の比較は行われなくなったが、その代わりに資本主義相互間の比較が行われだした。そしてイギリス・アメリカのアングロサクソン型資本主義とドイツのライン型資本主義(ライン河畔の意味である)が非常に異なっているというのが定説になってきた*1ミシェル・アルベール、小池訳、久水監修『資本主義対資本主義』(竹内書店新社、1992))。ライン型資本主義はEC型ともいわれている。
 ライン型においては、平等とは成果(利益)を平等に分配することである。これは後述するタキトゥスの『ゲルマニア』以来の風習である。優秀な企業があってそこが成功を納め、市場で大きくなったとしても、他の企業も生き延びる権利があり、それを封殺することは許されない。成功の果実は競争企業にも平等に分配されなければならない。つまり共同体の利益が個人の権利に優先するのである。
 一方アングロサクソン型資本主義では機会均等を問題にする。そして機会が与えられた場合、勝利者と敗者はその能力が違うのであるから、片方が大金持ちとなり、片方が貧乏であっても構わない。
 この平等な分配と機会均等の相違は、それぞれの国の資本主義の発生する以前の歴史に基礎をおいている。
 ここでルカーチ(一八八五ー一九七一)が昔述べた周辺革命説というのを紹介しよう。新しい制度は古い制度の変革でできるのではなく、その周辺諸国に発生するというのである。
 エジプト、メソポタミアは古代文明を発達させた。その文明圏の周辺部であるギリシャ、ローマはそれとは異質な古典古代文明を発生させた。さらに周辺部であるドイツとフランスは封建制度を発達させた。封建制度の周辺部だったイギリスで資本主義が発生し、さらに資本主義国の周辺であるロシアで社会主義が発生した。
 この説からみても分かるように、イギリスは中世封建制度が未発達であったので、資本主義に移行したときに、古い制度や人間関係を引き継ぐ必要がそれほどなかったが、ドイツはそうではなかった。だから、純粋な資本主義というよりは、中世的な色彩の残った資本主義となった。このような場合、今まで生産を行っていた企業を倒産させることは、それで生活を行ってきた人なり伝統的な地域なりを壊滅状態にするのであるから、社会的な問題となる。だから共同体の利益と成果の平等な配分が、社会的な価値判断の最先に来る。
 アメリカは中世の遺産を何も持っていない。だから純粋な資本主義なのであって、機会均等で誰が成功しても構わない。一者が成功し、他者が失敗したとき生ずる現象は同じなのであるが、このような差別的な結果が許される。多分地域的な基盤の構造が違うのであろう。
 このアングロサクソン型とライン型の資本主義を比べてみると、イギリスは二回の世界大戦を経て低落傾向にあり、アメリカは一度も自国内で世界大戦を経験していないのに寡占状態になっているのに対し、ドイツが二回も世界大戦で破れながら健全に発展しているのは、非常に対照的である。そして東西ドイツの統合という大事業を行っていることからみて、ライン型資本主義の方がアメリカ型資本主義よりも長期的にみて健全なのである。
 日本の資本主義は現在の分析に従えば、ライン型(EC型)である。そしてそこで機能している知的所有権制度にもその特徴がはっきりと現れている。しかし日本はライン型(欧州型)と全く同じではない。人口密度が極端に違うので、そこでの競争の激しさが違うのである。この日本の特許制度の特質については第9章で検討する。
 アメリカは貿易摩擦で公正(fairness)と機会均等を主張するが、機会均等の概念は日本にもECにもない。その代わりに成功した利益の共同体での平等な配分という価値観がある。そしてこのような価値観は文化的、さらには宗教的な倫理観に根ざしたものであるから、そのいずれかが正しいということはできない。
 現在の知的所有権制度は、知的な創作物について創作者にその利益の独占を認め、それが流通阻害を違法とするコモンローには違反しないという形で、イギリスで確立した制度である。したがって機会均等が前提になっている。
 しかしドイツにおいては知的所有権制度の運用に大幅な変更が加えられている。これは次章のワイマール体制下での特許権の強制実施許諾の事例がよく示しており、特許権者だけが利益を得るのを許さない。その代わりトラストやカルテルについては、歴史的にみればあまり厳しくなかったのである。

フランス民法とドイツ民法
 知的所有権は国民の私的な権利であるから、特許ならば特許法だけ考えればよいというものではない。むしろその背後にある憲法や民法の相違が問題になる。
 まずイギリスであるが、ここには憲法も民法もない。判例が中心であって、法解釈上の疑義が起きたならば、立法府が決定することになっている。ただ封建制度が壊滅したときに、過去の慣習だといって登場したコモンロー(Common Law)が基本となっており、それを事例に応じて変更する衡平の原則がある。工業所有権でも著作権でも法律が作られ、それが判例によって確認されてきた。
 フランスでは、フランス革命後ナポレオン(皇帝在位一八一〇ー一八一四)によって積極的に近代的な法典が編纂され、それに判例が積重なってきた。この法典はナポレオン法典と呼ばれ、近代法制の基本となっている。
 ドイツは一九世紀末から二〇世紀初頭に掛けて、法典を編纂したが、その中で、ロマニステンというグループとゲルマニステンまたは歴史法学派というグループに分れて論争をおこした。いわゆる法典論争である。そして近代法制でありながらナポレオン法典とは非常に違った民法を作り上げた。
 日本は初めフランス法に基づいて民法や刑法を作るが(旧民法、明治二三年一八九〇)、反対があってその施行ができなかったため、ドイツ民法の第一次草案を入手し、それを中心に各国の法制を選択して、現行民法を制定した(明治二九年一八九六)。
 アメリカはイギリスのコモンローを採用している。アメリカの知的所有権法制が他の国と非常に違う点は、憲法で発明と著作物についての財産権の保護を明記していることである。
このうち日本の法制にとって一番影響のあるのはフランス法とドイツ法の違いである。通常アメリカやイギリスである種の権利が認められると、フランス法はそれを気楽に取り入れる。しかしドイツは何かしかるべき法制を考えないとそれを取り入れられない。そして日本はドイツ法制をまねるのである。
 このような現象は日独民法の類似性にある。そこでやや面倒な議論であるが、簡単に説明する。
 知的所有権というものは具体的な〈物〉を対象とする権利ではない。特許や商標の場合、特許証などがあり、著作権の場合、本やレコードなどに著者の名前が入っているが、だからといって例えばこの万年筆は私のだというような具体的な権利ではない。だからこそ他人がまねるということが起きるのである。しかし法律上保護を受けるのは〈物〉であるから、〈物〉をどのように定義するかが知的所有権では最大の問題になる。
 それで問題になるのは、フランス法とドイツ法における〈物〉の定義と不法行為の規定である。この二つの規定のうち、不法行為の要件はどちらかといえば法律上の定め方の選択ではないかと思われるが、〈物〉の概念の相違は両者の経済史的な相違を反映しているのではないかと思われる。
 まずフランス民法においては、〈物〉は動産と不動産に分けられているだけであるが、法律的な保護を受けるべき対象ならばとくに制限はない。
 このことはフランス民法よりもむしろ、ナポレオン法典と同じ論理であるプロイセン一般ラント法(Allgemeine Landrecht、一七九四年施行)によく定義されていて、その二章一条では
「物とは、この法律の意味においては、すべて権利または義務の客体たり得るものをいう。」 *2『西洋法制史料選V近世・近代』(創文社、1979)179頁
と規定していた。また日本の旧民法でも物を〈有体物〉と〈無体物〉に分け、有体物をさらに動産と不動産に分けていたのである。
 一方ドイツ法においては〈物〉は有体物でなければならない。これは現行の日本民法と同じである。
そして一般にフランス法では〈債権〉が優位であり、ドイツ法では〈物権〉が優位であるといわれている。たとえば物を売買するというのは、ドイツ法では単に物と貨幣との交換であるが、フランス法では物と貨幣を交換する契約があって、その契約の履行として物と貨幣が交換されると考えるのである。
 またフランスで差止とか損害賠償を請求できる根拠となる不法行為についての民法一三八二条の規定は次のようになっている。
「他人に損害をひきおこす者のすべての何らかの行為は、その過失により損害が生じた者に対し、それを賠償する義務を負わせる。」*3『西洋法制史料選V近世・近代』(創文社、1979)206ー7頁
それで今、他人の何らかの法律上保護を受けても当然な事柄について、自分が不注意な行為をして、その結果相手が損害を受けたならば(行為と損害の間に因果関係があれば)、損害賠償を請求され、支払う義務が生ずる。
 他人の商品と似たような商品を売って、その顧客を横取りしてしまうのは、他人が開拓した方法で商品を販売するという正当な権利を、物真似という詐欺的な商法で侵害して、損害を与えるのであるから、不法行為であり、損害賠償をしなければならない。このような観点からフランス民法では顧客を無形財産であるとしている。そして知的所有権の保護も工業的な財産の侵害ということで民法上で論じられている。
 ドイツ法では、不法行為は、単に相手が損害を受けたというだけではなく、何らかの絶対権(第三者に対抗できる権利)を侵害していなければならない(権利侵害)。そして〈物〉は有体物である。
 ところで知的所有権は、有体物の権利ではないから、それを侵害してもただちには不法行為にはならないので、損害賠償義務などが発生しない。知的所有権の侵害について不法行為であると宣言するためには、知的所有権は〈物〉と同じような権利であると法律で定めなければなならい。だからドイツに特許、実用新案、意匠、商標、著作権などの法律があり、さらに「産業民法」といわれる不正競争防止法があるのはこのためである。

{物々交換と貨幣経済}
 フランスとドイツの〈物〉の概念は非常に異なっている。両国の法制はその他の面でも異なっており、法制史上も議論があるが、その背景には歴史的に見て、多分売買における貨幣経済の相違が非常に強くあったのではないかと思われる。
 ドイツの代表的な経済学の一つであったマルクス(一八一八ー一八八三)の『資本論』では、まず使用価値と交換価値について論じ、交換価値の基準として労働時間を持出している。このような交換価値の基本には物々交換経済がある。タキトゥス(五五ー一二〇)の『ゲルマニア』では、物の交換の仕方として、物々交換や、贈物とその返礼の交換が行われていたことが示されている。*4以下の記述はタキトゥス、泉井訳『ゲルマニア』(岩波文庫)43頁)。贈物と返礼は、その後ドイツ経済の中心であったハンザ同盟がドイツ・北欧・ロシアなどで贈物貿易を行っていたことにも現れていて、『ニーベルンゲンの指輪』に出てくるグンテル王とブリュンヒルデの贈物交換の場面は、当時の交易の形態がこのようなものであったことを髣髴とさせる。
 初めのうちは贈物に対する返礼は自発的なものであったが、後になると交換は等価でなければならなくなる。そして交換するものの価値が少ないときは等価の物にするよう相手に要求できるという法的規範にすらなっていった。*5広中俊男『契約とその法的保護』(創文社)66ー67頁)。そして多分これらの交換価値は、例えば三日がかりで捕まえた動物の毛皮というように、労働時間で測られていたのであろう。これこそが『資本論』で示された価値形態そのものである。
 中世のサリカ法典(六世紀)において、我々が現在債権としてとらえている概念には、貸したものを返して貰うということしかない*6久保訳註『サリカ法典』(弘文堂、1949)86頁)。そしてこれらの地方では貨幣こそあったものの、貨幣の鋳造はしばしば中断されている。つまり貨幣経済が定着してはいなかったのである。
 そしてドイツにおける所有(Gewerbe)の概念では、占有と所有の概念が分離していないという特色を持っていて、具体的なものでなければ権利の対象とはならなかった。このような法の思想環境がドイツ民法の〈物〉の概念に広がりを与えなかったのである。

 知的所有権は、民法上の〈物〉の概念から離れて、無体物といわれるが、無体物の一つであるサービスの概念は、『資本論』にはなかったし、また一八世紀末にドイツで誕生した商品学においても、サービスの概念はやはり最近までなかったのである。
 そして現在のドイツにおいても、消費者がイメージ・マーケティングには説得されないので、消費者向けのサービス業やビジネスサービスでの需要の発達が遅れているとされている。*7M.E.ポーター、土岐・中辻・小野寺・戸成訳『国の競争優位 上』(ダイヤモンド社、1992)520頁)日本人がブランド物に飛び付くのとは逆の民族性である。
 一方古代のギリシャやローマでは、エジプトが金を交換手段として用いており、かつ大量の金を支出していたことから、歴史の始った当初から金本位とでもいうべき交換手段を確立しており、交換価値を金の重さで決めることにはいささかの疑問もなかったのである。
 これらの地方が古来貨幣経済に馴染んでいた証拠として、貸金における利子を挙げることができる。利子は交換における価値を測る数量的な基準(貨幣制度)が確立していなければ発生できないからである。
 利子は旧約聖書においてモーゼの律法に出てくるし(出エジプト記二二章二五節)、紀元前四五〇年の十二銅表法では一年の利子の最大限を八・三三%に制限している。物の価値を金額で測定することが一般化すれば、金額で表されるものであればすべて財産であるという、抽象化された概念ができても不思議ではない。
 ナポレオンが積極的に参加して編纂し、南フランスの慣習法を強く取り入れたフランス民法においては、〈物〉は動産と不動産に分けられているだけであるが、法律的な保護を受けるべき対象ならばとくに制限はない。
 このようにみてくると、民法上の〈物〉の概念の特色は、その遠因が他の事例と等しく、古代から中世に掛けての交換形態の相違に求められよう。
 かなり強引な説明ではあるが、このような売買の概念の相違、すなわち経済様式の相違は、当然のことながら異なる法習慣を作り上げ、保護されるべき対象についての概念を異質のものとする。

 日本においては初めフランス民法を元にした旧民法が作られたが、後にドイツ民法を中心とした現行民法に変更された。
 日本において現行民法が残した大きな問題は差止請求権である。民法起草者たちは法律が複雑になるというので、占有の規定以外では差止の規定を置かなかった。そして裁判所は差止の規定がないのに困惑し、とくに知的所有権においては、仮差止の規定のある著作権法を除き、差止を認めなかった。むしろ特許法の解説書などでは、差止ができるという記載がなかったので請求がなかった*8大塚直「生活妨害の差止に関する基礎的考察ー物権的妨害排除の請求と不法行為に基づく請求との交錯ー2」『法学協会雑誌』103巻6号(1987)1203ー9頁)。そのため戦前においては特許権侵害などにおいて専ら刑事事件として立件して、警察による押収に任せたのである。
 一方著作権法においては初めから「本権ノ訴」が予定され、その付随的規定である仮差止、仮差押の規定を置いていたので、民事事件における差止は一般的に行われていた。昭和初期に音楽著作権の分野でプラーゲ旋風という著作権料取立事件が生じたのは、*9大家重夫『ニッポン著作権物語』(出版開発社、1981)による)著作権法にこのような規定があったからである。
 このようなことが改善されるのは、物権的請求権の理論が定着した昭和以降のことである。日本における知的所有権の保護が薄いという非難はこのような背景にもよる。

権利の発生と裁判所の役割
 特許や商標は、特許庁に出願して後、審査主義の国においては審査をして権利が発生する。また著作権は無方式なので、著作物が完成した時点で自動的に権利が発生する。

 既に述べたように、国によって法制が全く異なり、ややこしいのが意匠である。日本とアメリカ、イギリスでは出願後に審査が行われる。
 ドイツでは以前は裁判所に出願されていた(現在は特許庁)。そして裁判所の権限によって権利が発生するのである。実用新案は特許庁に出願されるが、国王の権限の代行者である官庁ということでは変わりがない。
 フランスでは、意匠はある種の封筒に入れて国際機関に寄託し、必要があると寄託の日時と内容が証明される(提案者の名前に従ってソロー封筒といわれている)。しかしフランスは無審査であって何の権利も発生しない。むしろ作品を作った段階で権利が発生しているのを公的な第三者が確認するのである。
 だからドイツとフランスはともに意匠を官庁に提出するだけなのであるが、ドイツではそれによって権利が発生するのに対し、フランスでは意匠が作られた時点で権利が発生しており、寄託は単にその内容の証明に過ぎないとされている。
 ところで、裁判所が個人の権利を発生させたり変更したり、また証拠を確定する能力があるとしたのは中世のフランク法である。当時はもちろん封建制度の時代であって、従来の部族法から王の命令で強制的に行われる王法への移行の時期でもあった。*10以下の記述は、ゾーム、久保・世良訳『フランク法とローマ法ードイツ法史への序論』(岩波書店、1942)等による。
 この時期に国民の権利は王から発せられ、裁判所は、領主、さらにはその家臣により運営されて、王の出張所の扱いを受け、国民の権利の発生や登録(土地の売買・農奴の解放など)を裁判所が王権の延長として行うものとされていた。発明に対する特許権も同じである。また裁判所は証拠を確定する権能も持っていた。裁判所に不服があれば順に上級審へ出訴ができる理屈ではあるが、最高の裁判所は国王であり、国王は絶えず国内を移動しているので、それを追いかけることは実際にはできなかったのである。改正前のドイツ意匠法が意匠を裁判所に寄託させるとしたのは、潜在的にこの裁判所の権能を意識していたと思われる。
 これに対しフランスの裁判所が行政庁の決定に関与できないという原則は、フランス革命後の司法制度において、それまで魔女狩りにばかり専念していたような反動的な司法が革命へ介入するのを禁止する目的で立てられたことなので、裁判所は完全に中立的な第三者である。ドイツにおける裁判所に登録された意匠とフランスにおける国際機関に寄託されたソロー封筒の効果が基本的に違うのはこの点に由来しているのである。
 なお行政官庁に法律の所管があるというのがあるのは、ドイツ法においてのみであり、日本もそれを受け継いでいる。*11堀内健志『ドイツ「法律」概念の研究序説』(多賀出版、1984)28頁

陪審制度と実質証拠の原則
 裁判所について述べたついでに、陪審制度と実質証拠の原則の関係についても触れることにする。これは英米法系において特徴的である。
 イギリスにおいては、上級審は下級審の認定した事実を尊重する習慣があった。下級審はその地の証人を集め、陪審員を呼んで証拠を審理するが、上級審は場所も異なり、証拠調ができないのである。したがって、証拠や事実認定については下級審が間違っているという判断をする根拠がない。だから尊重されなければならない。このような事実認定についての慣習は、さらに裁判において公的専門機関の専門的な判断を尊重するという形で拡大した。これは初めはイギリスで行われたが、当然アメリカでも行われ、司法は法律判断のみを行い、事実認定は専門行政機関に任せるという慣行が発生したのである。*12山田準次郎「英米法の行政行為司法審査における法律問題と事実問題」『法律論叢』(明大)34巻2・3・5号(1960・61)による。
 ただ司法が法律判断のみを行うといっても、法律判断は事実と絡み合っており、何が事実判断で何が法律判断であるかは一律に線を引くことが出来ない。それで最終的に提起されたのが一九三〇年代に出された実質証拠の原則である。しかし実質証拠の原則を採る場合には、行政庁の恣意的な判断を避けるために、判断基準となる規則が大量に必要となって来る。アメリカのFTC(公正取引委員会)はこのような基準作りに追われたし、日本の独占禁止法を見ても「不公正な取引についての一般指定」など細かな指定や規約が多い。そして実質証拠の原則はアメリカでは一九四六年に法定されたのである。
 日本においても、現在特許庁の行った審決について、裁判所は事実認定については適法か否かの判断を行うが、技術上の判断の可否については、それを否定することがほとんどない。事実上専門行政庁の判断ということが尊重されている。
 ここのところ日本ではアメリカの陪審制度について異論が多い。かつて日本のほとんどの電算機メーカーがおとり捜査の網に掛かり、IBMの技術を盗んだとされたときに、日本電気だけは無傷だった。その後同社の支配人の方から伺ったところでは、同社は世界で最初にオールトランジスター・コンピュータを開発し、その模型がボストン博物館でIBMのコンピュータと並んで展示されているとのことである。したがって同社の技術開発にはオリジナリティーがあると主張する場合、陪審員にそれを示せばよい。だから同社はオリジナリティーがないという主張にはいつでも反論できるので、決定的な特許侵害訴訟からは免れている。
 ミノルタの訴訟の場合、同社のカメラが最初の宇宙旅行で使われたということをどの程度陪審員にアッピールしたであろうか。陪審制度を拒否する前に日本の企業がやらなければならないのは、日本の過去からの技術発展を外国に理解させるということである。

 フランスとアメリカの特許制度は、共に初め雛型を提出する制度を採り、これがその後科学博物館に移行し、ドイツではプロイセンが特許制度を創設する際にフランスの制度を模倣し、科学博物館も一緒に設立したといういきさつがある。アメリカでは、かなりの企業で、創業当時からの製品を展示していることが指摘されているが、これには何らかの社会的な必要性がある。日本が陪審制度に対抗するためには、それなりの基盤整備が必要なのである。

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