日本ではベンチャービジネスがほとんど育たないと言う議論がよくあるが、ベンチャービジネスが大流行であった時期が少なくとも二回ある。そのひとつは第一次大戦中であり、もう一つは第二次大戦後である。
明治以降の近代化の中で日本は精密な機械などは外国産に頼り、その機械で作った大量消費財を国内及び植民地に供給するようになったが、第一次大戦で外国からの機械や高級な製品の輸入が途絶した。さらにヨーロッパ各国の東南アジアでの植民地で、本国からの製品供給が絶たれてしまった。
そのため国内で、機械をはじめとする金属材料の加工が急務となった。理化学研究所が設立された当初、その研究テーマの多くは旋盤などによる金属加工の技術に振り向けられていたのである。
第一次大戦中に設立された企業には、一つには日本光学のような国策会社があったが、もう一つのグループは、例えば東京物理学校を卒業して長岡半太郎の助手となり高温度の抵抗線温度計を自作した北辰電機の創業者清水荘平のような、個人の企業であった。それが戦後新しい企業として発展するのである。
もう一つは戦後である。
第二次大戦中は統制経済下であって、研究開発は軍と学術振興会に統一され、相互に研究の交流が行われていた。したがって技術は相互に交流され、企業間の技術にほとんど差がなくなっていた。そして戦後の物資不足の中で、肥料その他生活物資につき統制下で能率よく製造するために、GHQの指示で商工・農林各省などにより研究の相互交流と開発が行われていたのであり、更に生産効率を高めるため、一部の優秀企業にのみ製造許可を与え統制物資を配給していたのである。
第二次大戦後、大量の軍人が帰還した。この中で、技術将校、特に海軍技術将校は、自分たちの持っている技術を使って生活費を得ようとした。このような技術者たちが設立した企業としては、ソニー、日本電子(電子顕微鏡)、その他枚挙にいとまがない。
このような個人の企業としての独立の機会は、製品の供給の途絶えたときや、従来の市場が混乱して、新たな市場に切り替わるときに発生しやすい。そしてそれ以外の時は、個人の独立した起業が、日本においては無謀と考えられてきたのである。
現在の状態は、商品こそ大量に入手できるが、産業の空洞化が起きてかなりの技術者が職を失っており、また従来のハード中心の製品からソフト中心の製品に移行するなど、人的資源から見れば余裕ができ過ぎ、消費市場から見れば従来の商品と現在の商品はその性格を変えており、新たな技術とそれに伴う商品展開ができる状態になっている。
ところで、従来ならばこのような新商品発生は、大企業が一手に抱え込むところである。しかし現在の新技術はすべてがソフトがらみの話であり、日本の企業はコンピュータについてハード面しか開発してこなかったので、窮地に陥っている。一方ソフトは優秀な設計者が一人いればできる問題であるから、ベンチャービジネスに適している。
このような状態はベンチャービジネスの発生できる状態といえる。
日本的ベンチャービジネスの特徴
日本においては、従来から中小企業には低い位置しか認められていなかった。それは基本的に日本の終身雇用制に基づくもので、学生が大企業優先の職業選択をするためである。
先に日本開発銀行設備投資研究所の杉原弘恭氏が聞き取り調査を行ってまとめられたところによると、日本とアメリカにおけるベンチャービジネスの位置づけの違いは、一つは独禁法の強さの違いによる合併の規模の違いであって、日本では大規模合併が認められるのに対して、それの不可能なアメリカでは小規模の異業種間の吸収・合併が専らであること、日本ではベンチャーに金を貸す資本がほとんどないのに、アメリカではそれが多いことなどを挙げられたほかに、最大の相違点として、両国の人的資源の配分の相違を指摘された。
それによると、アメリカでは、大学生が卒業するとその就職選択が二つに分かれる。一つは企業(大企業)に就職するタイプであって、もう一つは自分でなにか始めるタイプである。この後者の学歴や能力は非常に高いので、それが新たな企業を興すことになる。銀行がこれらの人たちに資金を提供するので、必要な設備や研究投資をするのに困ることはない。それが成功するとたちまち個人として評価され、有名になる。それで主要な発明はベンチャービジネスから生まれてくる。この場合企業を興すのは高学歴の人の方が確率が高い。
日本では、ほとんどの学生が大企業に就職する。これは日本で終身雇用制と年功序列制が定着しているために、大企業に就職すると一生安定した生活が送れるからである。そして日本の大学がほとんど実践的な教育をしていないので、就職した人たちはそれから企業の中でオンザジョッブトレイニングを受けて、それで一人前の研究者になる。研究者が管理職になると、職務権限の委譲が起きるので、しばしば研究から離れてしまう。部下の業績が自分の仕事と重なるので規模の大きな研究はできるが、その成果は企業のものとなって、個人は埋没する。
一方、中小企業に就職する学生は、落ちこぼれに近い感じを受けてしまうし、企業内訓練も充実してはいない。それで日本においては中小企業から画期的な発明はまだほとんど生まれてきていない。
そして日本においてベンチャービジネスの議論をすると、それが知らない内に中小中堅企業の株式上場の議論に転化してしまうといわれるのである。
最近アメリカの経済学者たちは、大企業と中小企業の役割の認識を変えている。一九八九年にMITのグループがまとめた『Made in America ーアメリカ再生のための米日欧比較』では日本の強さを大企業の存在や政府の指導など、従来の日本株式会社方式に求めており、ソフトウェアを始めとする先端技術についても日本がこれから開発に乗り出してリーダーシップを取るであろうと述べていた。
ところがコーネル大学のグループのウィリアム・ファイナンとジェフェリー・フライは一九九四年に日本語で発行された『日本の技術が危ないー検証・ハイテク産業の衰退』の中で具体的な事例を上げて、日本の大企業なるものが特にソフトの分野で非常に立ち遅れており、その理由として大企業の技術開発における研究方向設定の誤りと、ベンチャービジネスの弱いことを挙げている。
日本とアメリカとで、ベンチャービジネスの位置づけの違うことは明確であり、日本の大企業が小回りの利かないことは従来から指摘されている。そしてその傾向はいよいよ激しくなっていて、例えばベトナムなど不安定要素のある東南アジアには積極的には出て行かないので、アメリカや台湾などに追い抜かれていると言った議論や、社内の稟議での印鑑が多すぎてそれを少なくできないために、敏捷な活動が出来ないという批判が大量に起きている。印鑑の数を一五個から一〇個に減らせようとしたが、二個しか減らせなかったと言う話は悲鳴としかいいようがない。
このような状態が続くと、それが事務の面であれ、新機種の開発であれ、影響は極めて大である。もしかすると、東南アジア経済圏が確立したときに、そこから日本企業が消えているかもしれない。この時に動けるのは大企業ではなくベンチャービジネスなのである。
大企業とベンチャービジネス
ここで具体的に、大企業とベンチャービジネス、そしてソフト産業とハード産業の技術的な違いと社会環境の相違について検討しよう。ソフト産業とハード産業については、それぞれ詳細な分析がなされているので、それを比較すればよいのである。
ここではハード産業の例として伊丹敬之『日本のVTR産業ーなぜ世界を制覇できたか』(NTT出版、一九九〇)を、ソフト産業の例として印牧直文『シリコンバレー・パワー』(日本経済新聞社、一九九五)を取り上げ比較することにしよう。
伊丹氏の著書では、要約として日本のVTR産業が成功した理由を五点に絞っている。それでその部分を抜き出してみよう。
「一、先行産業の蓄積と影響があったから、日本はVTRの開発に成功し、生産を独占した。
二、部品産業の下支えがあったからこそ、日本は開発に成功し、かつ多くの日本企業がVT R生産にのり出せた。
三、日本では技術の融合が様々な形で起きえたので、VTRのような総合電子機器の開発と 生産が効果的に行えた。
四、日本企業の方式間の集中(競争のなさ)が開発を成功させ、企画間の競争の激しさが。 外国勢の参入をためらわせた。
五、日本の市場の事情がVTRのコンセプトを可能にし、日本企業の性格が開発の長い道程 に日本をとどまらせ、コンセプトが分散して、諦めの早いアメリカ勢に勝ってしまった。」 (同書一七頁)
次にシリコンバレーの方からこの地域の企業の形態を見てみよう。印牧氏が要約するところに従えば、この地域の企業は次の三種に分かけられる。
一、技術評価実験会社 ハイテク技術を開発するところであって、基本的には人もモノも全 く持っていない。アイデアだけであり、そのプレゼンテーションによって投資会社からの 資金を集めるのである。
二、投資会社 技術評価実験会社の提案書を見てそれを検討し、マーケット分析や将来性を 考慮して資金を提供し、見返りとして知的所有権や各種のデータを受け取る。
三、商品製造会社 投資に基づいて得られた技術により商品を製造して利益を受ける。
このように両者を並列してみると、ベンチャービジネスの成立要件とVTRに見るようなハード製品の開発とでは一見しただけでかなり相違していることが見えてくる。
少し分析の方法を変えよう。先に著者の一人は、日本における大量の特許出願を分析するのに、ポーターの国際競争力に関する理論を適用したことがある。
かつてレーガン政権の下で大統領直属の国際競争力委員会の委員であったマイケル・ポーターは、当時優勢であったシカゴ学派とは全く逆の結論を出した。大きなことは良くなくて、適度の大きさのものが競争しあっているのがよいのである。そしてその理想形態を日本に求めた。
ポーターは各国の成功産業を分析して、成功産業には、必ず初めに製品の登場した企業の本国において市場が競争状態にあること、すなわち多数の企業が同じような製品を作っていて、熟練工もいれば、製品を作るのに必要な機械を作ったり材料を供給する会社もあり、さらに販売された製品は消費者によって試され、選択されて、直ちに製品の善し悪しが分かり、さらに競争業者の参入があって改良が行われるので、このような条件下で短期間で優秀な製品ができあがるとした。
そしてこのような一国の国際的な競争力を、要素条件、需要条件、企業間の戦略・構造及びライバル競争、関連・支援産業の大きな四因子に分けて分析し、これらの因子についての条件が企業の本国で存在していることにより、製品開発の競争的素地ができあがるのだとし、このような一つのまとまりを持った産業のグループを、クラスター(ぶどうの房)と呼んだ。
このような条件を検討すると、前述したVTRの製品開発においては、ポーターが指摘した条件の全てを満足していたといえる。ではベンチャービジネスについてはどうであろうか。
まず、《初めに製品の登場した企業の本国において市場が競争状態にあること、すなわち多数の企業が同じような製品を作っている》、ここまでは日本も同様であり、問題がない。
次に、《熟練工もいれば、製品を作るのに必要な機械を作ったり材料を供給する会社もある》。ここで問題が生じる。
日本においては、このような試作品を作る企業は、大企業とその系列下の中小企業がそれに該当する。ところがこの大企業と系列下の中小企業は、系列外の中小企業からは全く信頼されていないのである。いわゆる「大企業の物まね意識」であって、これを告発する記事がこのところ大量に出されている。例えば一九九四年一月二一日の日本経済新聞は一面の連載記事で、《オウム族「先駆者は損」、二番手狙い》という見出しのついた記事を載せた。
この中で、大企業は自分のところでは新しい技術開発をせず、中小企業が新しい技術を開発すると、そこに対して大企業から共同開発や販売契約などの提案を持ち込み、中小企業が技術的な内容を全て相手に教えると、大企業は自社の関連会社にその製品を作らせて、最初の中小企業が切り捨てられるというものである。
最近同じ様な特集を『別冊宝島』二〇七号が行った。内容的には似たような事例であるが企業名が伏せずに挙げられている。取材に自信があったのであろう。
『別冊宝島』によると、このような事例は掃いて捨てるほどあるという。著者(富田)の調査でもある会合で三件の匿名希望の事例が寄せられたので、このようなことはかなり一般的に行われているようであるが、問題はこのような大企業の対応がベンチャービジネスを殺しているということである。
先の印牧氏の要約でいえば、技術評価実験会社のできる素地がないのである。
ポーターのあげた次の条件、《販売された製品は消費者によって試され、選択されて、直ちに製品の善し悪しが分かり》というのは、日本でも満たされている。しかし最後の《さらに競争業者の参入があって改良が行われるので、このような条件下で短期間で優秀な製品ができあがる》というのは、現実には《大企業によって中小企業の開発した新製品が盗まれてしまう》と置き換えなければならない。
以上の分析は、ベンチャービジネスに関する限り、ポーターの挙げた条件を日本が満足していないことを示している。日本の現状がこのようなものであるから、ベンチャービジネスの必要性がいくら唱えられても、それが現実の育成政策としては実現しないのである。
前述の印牧氏は、さらにシリコンバレーのベンチャービジネスの特徴をいくつか上げていられる。すなわち、
絶えず個人の名人技のようなアイデアの勝負が行われていること、
その開発対象はコンピュータやそれの応用である遺伝子工学の分野に集中していること、
アイデアを実現するための試作品の開発や製造においては、部品の調達ではその時点の最高性能品を選択するのが一般的であって、部品間の調整は規格を満たせば調整不要であるとし、そして、
個別の技術について絶えず特許権や著作権による保護を求めており、また製品の販売期間を六年程度と短期間に求めていること、
などである。
これにはやや説明がいる。先に述べたVTRは部品点数が約三〇〇〇である。一方パソコンは比較的部品点数が少なく、五〇〇くらいである。しかも一方の部品と他方の部品は電線で繋がっているのであって、機構的には繋がっていない。だから製品をバラバラにして組み立てることができる。試作自体は簡単なので、アイデアが勝負となる。
一方VTRではそうはいかない。細かな部品がいっぱい詰まっていて、歯車同士、モーター同士微妙に連結している。ここでは組み立てられた製品がちゃんと動くことが必要であって、全ての部品がぴったりと合うように設計・製造されなければならない。だからここで述べられたことがそのままハード製品の開発に当てはまるとは言えないのである。
それで、日米のベンチャービジネスに関するデータを表にすると、表2と表3のようになる。まず日本で成功したVTRの技術とシリコンバレーに見られるパソコンの技術をを比較してみよう。両者の技術の相違は表2のようになる。
表二「VTRとパソコンの技術の比較」 VTR パソコン 開発速度 緩やか(開発から十数年) 急速(数カ月から数年) 企業 大企業 ベンチャービジネス 部品数 約三〇〇〇 数百 部品間の調整 重要 規格を満たせば調整不要 技術の特性 長期の研究開発 瞬間芸の集積、個人能力重視 部品の調達 下請け部品会社 その時点の最高性能品を選択 特許 クロスライセンス契約が主 基本技術以外は個別権利化 著作権 軽視 重視次に日本とアメリカでのベンチャービジネスのおかれた環境を比較しよう。両者の比較を表3に示すが、既に杉原氏の比較について述べたので、ここではあまり説明を要しまい。ヨーロッパもこの比較においては日本とほとんど変わらない。
表三「日本とアメリカのベンチャービジネスの相違」 日本(欧州) アメリカ 上場まで 一〇年以上 四年(短期間で大きな利益) 企業の寿命 長い 短い 研究者の移動 少ない 激しい 研究者の年齢 長い 若い、淘汰が激しい(移民) 特許権・著作権 弱い(裁判での利益小) 強い(同利益大) 権利侵害 多い 少ない 研究開発型企業 研究支援技術者の調達困難 自由市場で研究補助技術者を調達 大企業に生産委託 生産請負企業多数ただ企業の寿命についてのみ説明する。一般に日本の企業で株式市場第一部上場の企業と、それと同等のアメリカ企業を比較すると、アメリカの方が寿命が長い。これは日本の主な企業が戦後の過度経済力集中排除法で解体を命ぜられ、サンフランシスコ平和条約の発効後徐々に旧に復したので、一九五二年より古い企業がほとんどないのに対し、アメリカでは一九二〇年代創業の企業が多数あるからである。