連載:技術・文化・知的所有権13:東欧旅行記7
著者:富田 徹男
通商産業調査会『特許ニュース』1996.NOV.22
ルーマニアからブルガリアに行く列車は、一日に夜行が一本だけ、ギリシャのテッサロニキ行である。8月19日月曜日の午後7時45分に席に着き、列車は定時7時55分に発車した。10分ほどしたらパスポートコントロールがやってきた。次にバッゲージコントロールが来る。バッゲージコントロールは2人で来たが、私のカメラを見て、「ニコールだ」と言って相棒にみせて、その後ほかの物はチェックしないで行ってしまった。種田氏の荷物は一つも見なかったのである。このことが後で種田氏との議論になった。
彼の話によると、バッゲージコントロールもさりながら、私はそれまでに少なくとも2回横から狙われたというのである。しかし私が洋服を着て、肩からカメラと鞄を提げて、腕組みをしているので、右内ポケットは狙えない。そしてカメラをしばらく見ていたが止めてしまったというのである。もっとも右内ポケットのない服を着ている。
私の持っていたのはニコンF90XSのオートフォーカスである。それ以前はニコンF2のフォトミックSという昔のカメラだったが、ピントが合わなくなったのと何時まで経ってもF5が出ないのとで、買い替えた。このケースには大きくNikonと表示されている。ところでニコン製のカメラ製は高額なので、安いミニなどはチェコやハンガリーでもお目に掛かったが、レンズ交換式のものはほとんど売られていない。どこかでF2くらいのものが恭しく展示されていたのである。
ニコンのシステムカメラが売られていない証拠として、専用フィルターがないことが挙げられる。ブダペストで、椅子に置いたカメラが下に落とされてしまい、フィルターが割れたので、専門店に買いに行ったが、52ミリのは皆無だった。
しかしニコンの名声はとても高い。昨年南仏のエクサンプロヴァンスでテレビを見ていたら、写真の撮り方という番組があって、タイトルに出てきたのがニコンF2だった。高額であって、30万円のセットは、月給8千円から1万のルーマニアやブルガリアでは、もしかしたら家1軒に当たるのである。
ショーウィンドウにも飾られていないニコンのシステムカメラは、見たこともない幻の写真機である。向こうから考えれば、この写真機が私の荷物では一番貴重品なのだから、ほかに荷物があるとしてもそんなのは大したことはない。これだけ確認すればよいのである。一方私を狙った男からすれば、あまりに有名で高額な写真機だから、盗んでも処分できない。ルーマニアに果たして何台あるか分からないのである。
このことから見て、写真機を持って行くならば、安物ではなく一番高級なものを持っていけ、という原則を種田氏が導き出した。キャノンやミノルタではネームバリューがないからこうは行かない。またヤシカは普及品だからこれも駄目なのである。
先に述べたように、このほかに役に立ったのはその国の言語の辞書だった。ローカルな言語の辞書を持っているということは、その国を理解しようとしている旅行者だからである。
なお、写真についてのご質問をいくつか頂戴しているのでここでお答えして置くが、私のカメラは今説明したとおりで、フィルムにKODAKのASA400を使っている。これだと写真機が重いので手持ちでも1/4秒まではほとんど手ぶれがない。それで、暗いところでもフラッシュなしで写せるのである。教会の中などはほとんどがフラッシュ禁止である。
列車は、ブルガリアにはいる直前のルーマニアの駅、ジウジウル北駅(GIUGIUR NORD)に10時直前に着いた。外は雨が降ったらしい。その後少し動いてブルガリア領内に入った。早速キリール文字の看板が現れる。"КАФΕ БАР"(カフェバー)である。ルセ(Ruse)の駅に着いて、フォームで換金する人達が列車の窓沿いを歩いている。ルーマニアのレイをブルガリアのレヴァにするのである。ここで私も窓越しに換金し、9万 LEIが3641LEVAになった。1.5レヴァがほぼ1円である。ブルガリア側のパスポートチェックがやって来た。
ついにブルガリアに入った。東欧5カ国目、最後の国である。はじめ旅行を計画したときには、戦後のロシヤ民謡のブルガリアの歌ばかりが思い出され、ややセンチメンタルな感じだった。
「 はるばる越えし
山川幾千里
ここは遠きブルガリア
ドナウの彼方
黒き瞳いずこ
故郷今いずこ
夢にも忘れられぬ
恋し故郷 」
昨年プラハからマイセンに出たときもそうで、ああこれがエルベ川だ、という気になった。「エルベの誓い」というがあったのである。
しかし、いざブルガリアに入ると、このような感じにはならない。自分は今ブルガリアに来ているのであり、ドナウの彼方は崩壊したソ連、ロシアなのである。むしろ頭を過ぎったのは
「はるばる来たぜブルガリア、
長い列車を乗り継いで 」
だった。ともかく鉄道は長かった。それにしても函館がはるばる行く距離とは、演歌は実に甘すぎる。
ここで係官がワイシャツにネクタイ姿で部屋に説明にやってきて、扉を閉めた。鍵を閉めて、鎖を掛け、その鎖を衣紋掛けの木で固定するように言った。そして曰く、「これから先はブルガリアだから」。寝台の一等車は、車両毎に、通路の両側の扉に鍵を掛けている。そして車両毎にジュースを売るところ(車掌室)が置かれているのである。
ルセの駅を11時8分に発車して、ブルガリアの首都ソフィヤ(София)駅に、まだ真っ暗な5時50分に着いた。フォームもとても暗い。まだ着いていないと言うのが種田氏の意見だった。聞いたらここがソフィヤ。サッカーの試合があるらしく、昨夜から乗り合せたフーリガン風のグループがフォームで銅鑼を叩いていた。この連中は下車の合図も銅鑼でやったのである。
夜明け前のフォームの出口でタクシーだと言う老人がやってきた。頼むと荷物も運んでくれて、かなり離れた別の出口につれていった。そこに相棒のタクシーが居て、5ドルとチップでホテルに着いた。ホテルは RODINA で後で聞いたら日本人がよく来るところだそうである。夜明け前に着いて部屋で寝かせて貰った。
朝先ず換金をした。ホテル内にエクスチェンジがあるので、そこで手続きしたら、100ドルが176LEVAだった。トラベラーズチェックは駄目である。このホテルにツアーのメニューがあったので、取りあえず午後の市内観光を依頼した。一人約2000円である。
それから市街を見ることにしてトラムに乗ることにした。切符が分からないので探したら新聞売りのところにあった。トラムに乗って市の中心に出ようとしたら、反対方向に乗ってしまった。また乗りなおして今度は良いかと思っていたら、町外れの様な曲がり角の寺院の横に停まった。行き過ぎてはならないのでともかく降りて少し歩いたら都市の中心である。
それでホテルで貰った地図を確認したら、中心部のネデリヤ教会が道路の真ん中にあり、道路はその周りをU字型に迂回しているのである。これを間違えたのは『地球の歩き方、ブルガリア・ルーマニア』の冒頭のソフィヤの地図が間違っていて、この部分地図では道路が真っ直ぐになっているのである。
これは地図の間違い、ということで早速レンタカーのハーツを探した。なかなか見つからない。小一時間探し回って町に詳しくなり、ついにフランスの自動車の販売店に行ったら、別の販売店を紹介し、そこの人が連れていってくれた。住所は合っているが、門を開けて中庭に入ると、中庭に面したビルの一つに看板があり、そのビルの4階か5階である。ブカレストのACRといい、ともかく自動車関係のところは分かりにくい。やっと見つけて話をしたところ、朝自動車をホテルに持ってきて、そこで借りて、返却もホテルの駐車場で行う、ということになった。道路が片端から工事中で、とても我々が自動車を取りに行かれないからである。
このように首都の中心部をかなり歩いてから、銀行を探した。銀行でないとトラベラーズチェックが替えられないからである。2万円が33,995LEVAだった。
この後、朝ホテルで頼んで置いた市内のツアーに行った。ツアーと言ってもガイド付きのタクシーで客は我々だけである。ガイドはテオドラと言う、栗色の髪の女性で、自分の目や髪の色、体型が純ブルガリア的だ言っていた。父親がアメリカ駐在の大使館にいたというので訛のある英語を話すが、聞き取りにくい。
ソフィア中心街の道路から出た遺跡
栗色の髪のテオドラと私
ソフィヤの町を見て回ったが、ネフスキー寺院など今までの名所のほかに、道路を工事していたら道の真ん中に遺跡が出てきた、というようなところもあって、これから先、交通優先か新名所開発か分からないところがある。
この中で興味を引いたのが人民共和国の初代大統領、ゲオルギ・ディミトロフ廟である。この廟は戦前の皇后が一番気に入っていたという建物に向かい合って建てられており、その配置はソウルの青瓦台前の朝鮮総督府を連想させる。
この廟は社会主義時代には重視され、衛兵が立ち、またメーデーの中心地だったと言うが、政変後の1990年に取り壊しが決定された。そして中の遺体は火葬にされたと言うが、建物を取り壊す費用がないので、まだ放置されており、維持費が高いので困っているというのである。
ここで以前に書いたナロート(人民)とナーツィア(国民)の使い方が気になって質問した。ここではナロートを全部ナーツィアに取り替えたいが、まだ金がなくて残っている、というのである。先にチェコとスロバキアについて、ナロートが人民よりも民族に近いという指摘があって、国により言葉のニュアンスが大分違うという議論が起きたが、少なくともブルガリアではナロートの語にアレルギーを起こしている。
一応市の中心部を回った後、一緒に茶を飲んだが、その時一緒にいたドライバーに道路状態を聞いたところ非常に悪いという。これから後が心配になる。
ここでブルガリア・英語の辞書を探した。ブカレストではルーマニア・英語の辞書がいくらでもあったのに、ここでは全くない。数軒書店を回って貰って諦めた。
この日午後2時36分に気温が28度であった。夜ホテルの中華料理店に行ったが料理がひどい。また現地のビールを頼んだところ、ASTIKというのが出てきたがこれがひどくまずい。チェコのビール地帯からハンガリー以南のワイン地帯に入り、ここは赤ワインとミネラルウォーターの組み合わせが一番旨いのである。
8月21日朝珍しくゆで卵が出てきた。そして9時に出発した。
ブルガリアの道路はルーマニアに比べて遥かに運転しにくい。先ず道路標示が全てキリール文字(ロシア文字と同じ)である。次に舗装がまだ良くなっていない。渋滞もあって、ソフィヤのホテルを出てからヨーロッパ道路の E79に出るまでの10キロが30分掛かった。
ソフィヤを出た道はしばらくすると山岳地帯に入り、高速道路が続く。今山間地の主要道路を高速化しているのである。いたるところで谷を渡るコンクリート橋脚が作られている。現在の自動車道路は、高速道路に乗ったと思うと旧道に移って、建設中の橋脚を見上げながら走ったり、また高速道路の片道だけ出来ているところを走ったり、また旧道で町の中を走ったりと、めまぐるしく変わる。全国規模で何時完成するかは分からないが、これからの希望がもてるところである。
ただ道路標識は頂けない。ほとんどがキリール文字表示で、しかも極めて少ない。特に都市に余所から入って通過するとき、大都市であれば大都市なほど、わかりにくい。道路標示が少なく、そして街の中で曲がる手前と角に一回ずつ、そして街を出てから数キロ行ったところで一回。後は次の街に着いたところで一回。だから間違えるととんでもないことになる。少なくとも20キロは走らされるのである。それと道路舗装がまだ不十分である。山間部は高速道路を造っているが、平地では良いところと穴だらけのところが混じっている。ブルガリアでの平均時速は60キロであった。まだドライバー(特に外部から来た者)への配慮をする段階にはなっていないのである。ただ地図が頭の中にあるとそれほど問題にはならない。
キリール文字の道路標識
ソフィヤの東の山間は実に綺麗な景色である。急な山があり、それが時々中断して遠くの山や盆地が見える。ともかくスケールの大きな景色であって、丁度箱根のドライブウェイを走っているような気分になる。確かこの辺りで道路が秩父よりも良いと思ったのである。ただし道路工事中なことは今述べた通りである。
我々はトローヤン(Троян)に向かった。途中ローヴェッチ(Ловеч)の手前でパスポートチェックに掛かった。何だと思ったら速度違反である。道路工事中のところが続いているのに、それが終わったと思って速度を上げたのである。それで質問を受けたがビジネスかツーリストかと聞かれて、ツーリストだと答えたら、ゆっくり行けと言って放免された。もっともパスポートにはお互い東欧5カ国のヴィサが貼ってあるのである。
このころ疲れて、二人で飴を舐め始めた。琉球の黒糖の飴というのを持っていったが、これが疲れに効く。一方薄味の煎餅は何これという感じになる。
ところで車は一度ヴァルナ方面へ行く道から南に曲がる。そしてトローヤンの街に入り、僧院の方に曲がるのだが、街を通り越してだいぶ行っても僧院への曲がり角が見つからない。今度は引き返して街を過ぎる。ともかくここらしいと言うので東の方に向かって曲がって、多分この方向だと言いながら進んだが、山の中を走り回るだけである。家もない。
やっと村の真ん中に出て公民館のようなところで、片言のロシア語で聞いたら、だいぶ別のところである。あっちへ行けと言うので地図と比べると川の位置が違うがともかく走る。
ガソリンスタンドがあるので、満タンを頼みながまた道を聞く。今度は地図を出せと言うので、地図を見せたら、我々は遥か北東のヴァルナ方面の道路際まで戻っていたのである。ここまでうろつくこと約50分。ほぼ逆の方へ行けと言うのである。同じところで給油していた人も何か分からないがあっちだというので、その方角に走り出した。
やっと地図にある手前の街の表示が出て方向を確認、そのまま進むと広いバスの通るような道路になって、人もいる。トローヤン僧院はこっちかと聞くとそうだと答えてくれる。途中人の大勢いる綺麗なところがある。これは多分ホテルだと言ってさらに進む。またおかしくなる。今度聞くと元に戻れ。さっきのホテルらしいところでよく見ると僧院がある。遂にここだと言って車を止めた。午後1時40分である。
我々はともかく食事をすることにした。入場券や絵葉書などと一緒にサンドイッチのようなものを売っていて、客がそれを買って食べている。我々もそれを食べることにした。ソーセージを焼いてパンに挟んでくれる。客は入り口の前に置かれたビーチパラソルの下でいすに腰掛けてそれを食べる。ただそれだけのことだが、ルーマニアでは考えられなかったことで、それだけ観光という概念が定着し始めているのである。
トローヤン僧院の入口(パラソルはルーマニアでは考えられない)
トローヤン僧院の教会堂
教会堂の壁画
観光と言うことでもう一つ挙げておかなければならないのは、道路際のパーキングのところにある飲み物の売店が、ルーマニアでは地面に段ボール箱を重ねていたのに、ここでは店の形になっているのである。大抵はコーヒー・紅茶にコカコーラ、それに袋に入ったチョコレートパンなどで、食事はできないが、雨でも車から降りて腰を下ろせるのである。さらにガソリンスタンドやこれらの喫茶店は1キロくらい手前から表示がある。道路標示などだめなところも多いが、民間の方はだいぶ進んでいる。
トローヤン僧院は『地球の歩き方』には載っていないが、ブルガリア大使館で出している観光案内には出ているもので、代表的な僧院の一つである。川沿いの山の窪地に建てられたこの寺院は、外側も中側も非常に綺麗で落ち着いている。僧院の形はスチャヴァの5僧院とそれほど異ならないが、雰囲気はそれぞれなりに異なっている。
先ず外壁は白い壁と、黒い石のスレートを乗せた屋根である。これが丸みのある瓦なら奈良にもありそうな塀になっている。この入り口にトローヤン僧院と書いてあるらしいが、字体が違うためなんだか分からない。外壁の裏側は木造の部屋になっていて、多分僧達が住んでいるのであろう。洗濯物が干してある。
中の教会堂は外壁が石を積んで造られており、アーケードの下は絵で満たされている。太陽が明るいので絵は比較的暗い色である。
この内陣は撮影が禁止されており、その上、内陣の絵葉書も売っていない。ただ内陣に描かれた聖者の絵は売られている。絵葉書ではなく、自分の家に帰ってその絵を祭れというように、表面をプラスチックコートしてあり、その絵にキスしても大丈夫なように作られている。
私はどこでもそこにある絵葉書全てを買っていたが、ここでは中に入って自分で選べと言う。それで絵葉書や聖者の絵など12枚を400LEVA(260円)で購入した。
この僧院にはムクゲとアジサイが咲いていた。アジサイはやや終わりになり掛かっていたが、よくマッチしている。
帰り道は真っ直ぐだった。迷わずにトロヤンの街に出た。途中鉄道の駅のそばで線路を陸橋で越している。先に間違えたところを見たら、2本の道が約100メートル離れて出ており、ともに道路標識がないのである。
高速を走ってヴェリコタルノヴォ(ВеликоТърново)に着いた。なおこのTの後に母音はなく、無母音であり、大タルノヴォと言う意味である。
街の中がかなり複雑でしばらく迷った。『地球の歩き方』の地図がバイパスのトンネルを抜けたところで市街地の道とつながるように描かれていたが、行ってみたら高さが約50メートルくらいあって、道路が繋がっていなかったのである。あとで同じシリーズの中央ヨーロッパの方を見たら地図は正確であった。
泊まるのはHOTEL VELIKO TARNOVO である。一番上の階の外れの部屋と思いきや、丸いバルコニーのついた最高級の部屋だった。約10メートルくらいの廊下の先に部屋があり、次の間付きで、眼下にはU字型に流れるヤントラ川があり、対岸の先端にはアッセン王家のモニュメントとか博物館が見える。種田氏が、私の部屋から写真を撮ると言ってきた。後で川の反対側から見たら、ホテル中で一番眺めの良い部屋である。
あちこちにサルスベリが咲いている。日本産の植物のなんと多いことか。
先ず街を歩き出した。谷にへばりついた街である。はじめ間違って新市街の方に行ってしまった。犬の糞の臭い街を上っていく。下は崖で所々階段がある。丁度熱海か伊香保の坂道を考えればよい。そのうちに雨が降ってきた。どうもおかしいので地図を見て引き返す。
ヴェリコタルノヴォの街
ヴェリコタルノヴォの石の道
旧市街は別の坂を上っていく。職人街で、様々な形の小綺麗な家が並んでいる。その中の一軒がカフェテリアなのでそこに入ってお茶を飲んだ。この店の窓枠も凝っているが、窓越しの眺めも良い。そして川沿いの綺麗な道を歩いて帰ったら、知らない内に一番綺麗なところを歩いていたのである。
夕方8時に川から霧が立ち始めた。
この晩ホテルの中で食事をしたが、体の調子のいいこともあって非常にうまかった。特にここで地元のワインと言って出てきたのがMERLOTのTRAKIAというラベルの1989年ものでミネラルウォーターと交互に飲むのが何とも言えない。
道に迷ったこともあって、二人とも本当に疲れたのである。この日歩いたのは11882歩、走行距離347キロだった。
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